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バリ島の歴史-あれから100年-

2008年4月29日

ちょっと今日は真面目にバリ島の歴史のお話です。

1908年4月28日。

バリ東部のクルンクンでププタンが起こりました。

その当時、オランダ軍は8つの小王国に分かれていたバリを一つ一つ支配下に組み入れていき、
最後に残ったのがこのクルンクン王国。王宮の周りをオランダ軍に包囲され、降伏するしか道は無くなった、
その時に当時のバリの人々が選んだ道はププタン=集団自決でした。

オランダ軍に包囲されたクルンクンの人々は、きらびやかな衣装を身にまとい、
宝石をちりばめた先祖由来の最上のクリスを取り出し、金の傘をさしかけた王を先頭に
女性・子供も従えて、ガムランの演奏とともにしずしずとオランダ軍に向かい行進していきました。

オランダ軍の制止を無視して行進を続け、倒されても倒された人々の上を乗り越え続く行進。
その行進が終わった時には辺り一面には宝石と金銀が散らばり、華麗な衣装をまとった死骸の海が広がっていたそうです。
このププタンにより、バリ全土はオランダ軍に支配される事となりました。

そして、そのププタンから今日がちょうど100年。
現在のクルンクンでは、その100年を記念するお祭りがありました。

          

朝10時に行くと既に約1000人もの人々が正装姿で集まっていました。
しばらくすると、あちらでは男性が踊り、こちらでは女の子たちが踊り、
ガムランを演奏しているかと思えばワヤン・クリッ(バリの伝統的な影絵)をしている男性がいたり、
僧侶がお供え物にお祈りを捧げていたり。今までにも何回かバリのお祭りは見てきたが、
おそらくこのププタンの為の踊りもあり、バリの他ではなかなか見れない衣装と化粧が印象的でした。

                 

規則性があるのかないのか、正直分からないその滅茶苦茶さが、100年前の光景をなんとなく想像させました。
おそらく、銃に撃たれながらもお祈りをし、踊っていたのだろう。そんな気がします。
集団自決、と言うとあまり聞こえはよくないですが、ププタンはバリの人々にとって国の滅びの荘厳な儀式であり、
バリの美意識の証明ともいえるもののようです。

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