【 バリ島 】幻の世界遺産、ブサキ寺院の起源と歴史
2018年4月25日
こんにちは、バリ倶楽部のさすけです。
先日、ブサキ寺院で一年に一度の誕生祭がおこなわれ、バリ倶楽部スタッフと一緒に参拝しました。バリ島各地から多くの参拝者でにぎわっていました。
ブサキ寺院はバリ島でもっとも大事な寺院であり、規模もバリ島で一番です。参拝者いがいに観光客にも大人気のブサキ寺院は総本山として信仰されています。
でも、ブサキ寺院の歴史、なぜ総本山とされているのかはいがいと知られていない。このブログ記事でブサキ寺院の起源と現在のすがたになった過程を紹介します。
ブサキ寺院とは
ブサキ寺院はバリ島でいちばん高い山、アグン山の麓にあります。23寺院からなる複合的寺院と言われています。実は中心から外にむかって、【本殿】【家族寺の本山】【ブサキ寺院を囲む寺院】の3つの層にわかれています。
本殿
ブサキ寺院にいったことあるかたは必ずココに案内されます。上の画像が本殿です。ココにはバリヒンドゥーでメインとなる神様、ブラフマ神、ウィシュヌ神、シワ神がまつられ、3つならんでいる大きな祠で祀られています。
本殿には下から上まで7段階にわかれています。参拝しない観光客は1階までしか入れないです。2階は参拝者のみなさんが一般的にお祈りする場所です。7階には竹の木があり、ココがブサキ寺院本当の本殿といわれています。
家族寺の本山
本殿のまわりを囲む数おおくの寺院。こちらはバリ島の人々の先祖がまつられている寺院とされています。本殿+家族寺の本山が総称としてブサキ寺院と現在よばれています。
ブサキ寺院の周りを囲む寺院
ブサキ寺院の東西南北に囲むような形で寺院があります。グラップ寺院、ウルンクルクル寺院、バトゥマデッグ寺院などなどあります。この周辺の寺院を含め、ブサキ寺院はいかに総本山として信仰され、どのような経緯で現在のすがたになったのかを紹介します。
ブサキ寺院の起源
ブサキ寺院の起源はバリ島の起源といっても過言ではない。アグン山のふもとにあるブサキは強いエネルギーをはなっている場所。さかのぼること2世紀。インド出身の高僧、マルカンデヤ大師がバリがいずれ世界を救う島と悟りました。そのためにバリ島で文明を築き、核となるコンセプトを植え付けました。
まだ文明が発展していないバリ島を開拓して、世界がアンバランスになったときにバリ島が救世主になると確信して、アグン山の麓にやってきました。
ブサキ寺院の由来
バリ島にたどりついたマルカンデヤ大師はアグン山の麓、現・ブサキ寺院を最初の拠点にしました。800人のお弟子さんと共に開拓の準備を行いました。当時マルカンデヤ大師が瞑想された場所が現在、本当の本殿とされている竹の木がある場所です。
そして、その竹の下にある二つの祠は男女のシンボルで、お弟子さんの卒業式をおこなう場所でした。男性は右、女性は左にわかれています。現在みなさんがお祈りしている場所は以前、マルカンデヤ大師がお弟子さんを教育する場だったといわれています。いわば学校のような場所です。
準備が整ったあと、ブサキ寺院の誕生祭がおこなわれました。マルカンデヤ大師がインドからバリ島までの旅路で出会った聖人たちを招待しました。ブサキ寺院の誕生祭は数か月間にわたって行われたと言われ、招待客はブサキ寺院の周辺に場所が用意されました。
招待客は数か月間にわたって滞在されたと思われます。それぞれに与えられた場所に住居やお祈りする施設など用意されました。ここ100年でその跡地に当時の遺物が多く発見されました。以前マルカンデヤ大師が招いたお客様のものだと言われています。
遺物が発見された場所に寺院がたてられた。それが東西南北ブサキ寺院の周りにある寺院の由来です。
ブサキ寺院の誕生祭にマルカンデヤ大師はお供え物を埋めました。このお供え物はバリ島開拓祈願の一部だといわれていて、バリ島で初めてお供え物が誕生した日でもあります。現在バリ島のお供え物はマルカンデヤ大師の教えです。以前はもっとシンプルなものだった。
マルカンデヤ大師がお供えものを埋めた場所が現在のバスキアン寺院です。バスキアン寺院はいちばん手前の寺院で、ブサキ寺院にいくときに広い芝生の後にある寺院です。バスキアン寺院の本殿のなかに礎石の一部が残されていて、サカ歴111(西暦189)と彫られている石碑がのこされています。
バスキアンまたはバスキというのは【無事】という意味です。バリ島開拓する第一段階が無事におわったという意味もこめてつけられた名前です。バスキがなまってブサキとなったのがブサキ寺院の由来です。
ブサキ寺院の歴史
富士山同様にバリ島でいちばん高い山、アグン山には大きなエネルギーがあると信じられています。その麓に総本山を築いたのは2世紀ごろ。
ブサキ寺院が大きく姿を変えたのは14世紀ごろ。当時はジャワ島からやってきたマジャパヒット王国がバリ島を統治しました。マジャパヒット系のバリ王国、初代王様はクレスナ・クパキサン王です。宗教的なアドバイザーとして、王さまにつかえたのはムスティカ大師です。
ムスティカ大師はバリ島の社会的多様性をみて、社会の分裂を避けたいと考えた。というのも、マジャパヒットはトリワンサというカースト制度をバリ島にもちこんできた。トリは3つ、ワンサはカテゴリーという意味です。その3つのカテゴリーはブラフマナ(お坊さんや聖人)、ダラム(王族)、アルヤ(軍人や政治家)。
マジャパヒット以前から住んでいたバリ人は【パスック】に部類され、王国でとても地位のたかい鍛冶職人や建築士は【パンデ】に部類されました。
ムスティカ大師はそれぞれの一族が総本山のブサキで場所をあたえることによって、激突や紛争が避けられるのではないかと考えました。そのような根拠で本殿の隣に、ブラフマナ、ダラム、アルヤ、パスックとパンデの【居場所】を建てました。
それが現在、一族の家族寺となっていますが、実は先祖が祭られているわけでもないのです。ムスティカ大師が紛争をさけるため、バリ島が一つになるために建てた場所だったと言われています。
まとめ
ブサキ寺院はアグン山を崇拝する寺院としてたてました。ブサキ寺院にはおおきなエネルギーがあって、アグン山の許可なきではバリ島を開拓することはできないとマルカンデヤ大師が思いました。バリ島の恵みも災害をもたらすのもアグン山ということはその当時から悟っていたんです。
2000年の歴史をもつブサキ寺院は時代とともに姿は少し変わりましたが、総本山であることは昔も今も変わりはないです。自然崇拝するバリヒンドゥーにとっては自然が神様の手と足、神様そのものと信仰しています。
バリ島で一番高い山で火山というアグン山に総本山を築くというのは理にかなってますね。
ブサキ寺院にはバリ島のルーツと長いバリ島の信仰心が見えてきますので、神聖な場所でありながらとても興味深い遺跡でもあります。ぜひ!一度お越しください。
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