バリ島物語【 小さな島の壮大なストーリー 】Part1
2016年9月3日
こんにちは、バリ倶楽部のさすけです。
昔から今もなおバリ島は色んな時代の色んな人を魅了しつづけ、ユニークな文化と世界観がフューチャーされています。リゾート地としても有名なバリ島には美しい自然や寺院、綺麗な棚田と優しい人々が印象強く残ると思います。
僕は5歳からバリ島に住んでいて、バリ人同様の暮らしをしてきました。長年住んでいるにもかかわらず常に一つ大きな疑問があります。なぜこんな小さな島に世界各地から人が集まり、大人気なの?なぜ( 僕も含め )バリ島が好きになってしまうの?
その謎を解き明かしたいと思い、色んな人をインタビューしたり、勉強しました。そのプロセスで得たバリ島に関する知識を4部作 ( 長いっ!! )に分けて書いてみます。
皆さんの知識と異なることもあるかと思いますが、バリ島で昔から代々伝わってきたお話しも交えています。必ずしも書籍などに基ずいている話ではないのでご了承ください。
バリ島の始まり、2世紀~
マルカンデヤ大師という人物
バリ島に一番大きな影響をもたらした人物はマルカンデヤ大師というインド出身の高僧です。マルカンデヤ大師は2世紀頃( 日本では弥生時代 )にアグン山の麓( 現・ブサキ寺院 )に辿り着きました。
バリ島を住める場所にするため、森を開墾、集落を作り、農業方法を生みだし、始めてバリ島に文明をもたらした人物です。
それだけではなく、マルカンデヤ大師が今も続くバリヒンドゥーのコンセプトを生み出しました。また、バリ島の世界遺産になった「 スバック 」という水利システムもバリ島のお供え物の起源も全てマルカンデヤ大師がバリ島にもたらしたほんの一部の遺産。
バリ島を開拓
バリ島に来る前にマルカンデヤ大師はジャワ島東部のラウン山に拠点を起きました。バリ島には特別なエネルギーがあると悟りました。マルカンデヤ大師が瞑想したときに、バリ島に天まで届く大きな光の柱を見ました。その光の中心はアグン山だと悟りました。
長い準備期間を経て、400人の弟子たちとバリ島へ渡る決断をしました。マルカンデヤ大師が最初に上陸した地はバリ島の西部ヌガラ県です。現在はランブッシウィという寺院になっています。
2世紀のバリ島は文明が発展しておらず、住む人間はほとんどいなかったそうです。森に覆われているアグン山の麓には危険な動物も生息していて、魔物や妖怪の住みかだったそうです。
マルカンデヤ大師の弟子たちが次から次へと謎の病にたおれ、1回目のバリ島上陸は失敗に終わりました。2回目の試みは800人のお弟子さんを連れてきました。
開墾する前にアグン山の麓、現在バスキアン寺院があるところにパンチャダトゥというお供え物を土の中に埋めました。
魔物や妖怪が与えられた地とはバリ島の離島、ペニダ島です。新しい地を与えられた魔物や妖怪が人間を邪魔しないように管理人として、ダラムペッドが責任者として任されました。今現在もバリ島の人々はペニダ島のダラムペッド寺院に行き、バリ島に住ませていただき、魔物や妖怪を管理して頂いた感謝の気持ちを伝えに参ります。
ブサキ寺院でバリ島の開墾「許可」をえられたマルカンデヤ大師はその後、少し西に移動してプアカン村( ウブドやテガラランの北側 )に拠点を置きました。
プアカン村の丘の上( 現在サバン・ダアッ寺院 )に居を構え、その丘の下に「 学校 」の様なもの、学び場を作りました。現在グヌンラウン・タロという寺院になっていますが、まだその痕跡があります。この場所で自然のことや神学、農業から建築学まで幅広くお弟子さんたちに教えてたそうです。
現在バリ人の原住民はバリアガと呼ばれていますが、実はアガ人からの由来です。バリアガはバリ島の原住民というよりかはマルカンデヤ大師が2世紀頃にジャワ島から連れてきた精鋭たちです。ジャワ島から移民第一波なのです。
マルカンデヤ大師はその後ウブドまで南下し、プチャッ・パヨガン寺院やグヌンルバ寺院をたてました。バリ島の始まりはマルカンデヤ大師の功績と言っても過言ではない、マルカンデヤ大師はバリ島の礎を築いた人物です。
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