バリ島物語【 小さな島の壮大なストーリー 】Part3
2017年2月16日
こんにちは、バリ倶楽部のさすけ(@sasuke80)です。
前回の記事「小さな島の壮大なストーリーPart2」でバリ島の始まりやいかにしてバリ島の土台が創り上げられたのかという記事を書きました。今回はバリ島の9世紀から12世紀まで(日本は平安時代)のお話。バリ島を治めたワルマデワ王朝と今もなお残されているバリ島の寺院の始まりのお話しです。
ワルマデワ王朝
記録が残されているバリ島初の王様は9世紀、882年の(日本は平安時代初期)ケサリ・ワルマデワ王です。当時は「バリ王国」ではなく「シンガドゥワラ王国」という名前でした。王国の拠点は現在のブサキ寺院と記録されています。
ワルマデワ王朝時代にバリ島の宗教や文化が発展を遂げて、ティルタエンプル寺院(10世紀)やグヌンカウィ遺跡(11世紀)などはワルマデワ王朝時代に建てられました。バリ島の繁栄と豊穣はワルマデワ王朝のウダヤナ王&マヘンドラダタ王妃(989~1011年)とジャヤパングス王&カン・チ・ウィ王妃(1181年)の時代にピークを迎えたと言われています。
ウダヤナ王&マヘンドラダタ王妃
マヘンドラダタ王妃はジャワ島出身の王女でウダヤナ王との結婚は政略結婚でした。マヘンドラダタ王妃はジャワ島から多くの人々、新しい文化や信仰をバリ島に伝えた。バリ島に多様多彩な社会をもたらしました。この時代にジャワ島とバリ島の親交が増し、後にウダヤナ王とマヘンドラダタ王妃の間から生まれたエルランガ王子がジャワ島偉大な王国の王様になりました。
ジャヤパングス王&カン・チ・ウィ王妃
ジャヤパングス王&カン・チ・ウィ王妃(1181年)の時代は中国文化が初めてバリ島に入った時代と言われています。カン・チ・ウィ王妃は中国出身でバリ島初の国際結婚です。
ジャヤパングス王時代の首都はキンタマーニ高原、バトゥール山の麓バリンカンという場所にありました。ジャパングス王子はダラム・バリンカン(バリンカンの王様)と呼ばれていて、現在もバリンカン村のダラム・バリンカン寺院に王国の跡地があります。
ジャパングス王とカン・チ・ウィ王妃のご結婚により中国とバリ島の国際交流が深まり、中国との貿易や文化交流が盛んになりました。現在まで当時の中国との交流がバリ島には多く残されています。
当時使われていた中国硬貨は現在もお供え物の一つとして使われています。
バリ島に多くの道教寺院が存在しており、華僑も多く住んでいますが、12世紀に遡りカン・チ・ウィ王妃がもたらした影響です。
一番興味深いのは当時多くの中国兵士が護衛やバリ島の安全を守るために出兵されました。その中のソン族とアン族は特別に首都バリンカンの隣に土地を与えられ、現在はソンアン村として残っていて、中国兵士たちの子孫が多く暮らしています。ソンアン村の人たちの顔を見てみるとなにとなく中国系の顔をしています。
ジャヤパングス王はバリ島を統一した最後の王様と言われていて、その後のバリ島は分裂して多くの王国が建国されました。
マドゥラ大師
バリ島の各時代背景にはあらゆる分野で功績を残した聖人が数多くいらっしゃいます。最初のマルカンデヤ大師を始め、アガスティヤ大師、シディマントラ大師、クトゥラン大師、そして12世紀にはマドゥラ大師。僕がマルカンデヤ大師やマドゥラ大師に注目した理由は自然派の聖人でバリ島に多大な貢献をされたことだけではなくとてもユニークだからです。マドゥラ大師に関しましては唯一クリス(ジャワやバリ島伝統的な刀)を常に携帯していた聖人です。
日本の歴史は詳しく知りませんがインドネシアの王国を見てみますと、王様の隣に少なくとも2人のアドバイザーが付き添います。一人は官房長官のような役割で政治戦略、軍事、経済などのアドバイザー。もう一人は宗教やスピリチュアルのアドバイザー。当時インドネシアの王国にも政治や軍事部門のアドバイザー(PATIH、パティ)と宗教的アドバイザーの大師(Rsi、ルシ)がいました。
マドゥラ大師はジャワ島の離島にあるマドゥラ島出身で大国マジャパヒットの建国に大きく影響した人物です。マジャパヒット大国が偉大な王国に成長を遂げるとマドゥラ大師を国のアドバイザーとしてオファーをしましたが、マドゥラ大師はこれを断りバリ島への巡業を始めました。マドゥラ大師の巡業は彼の先祖であるマルカンデヤ大師の歩みを継ぎ、後世にも残る功績をあげました。
マドゥラ大師がバリ島で最初の拠点にしてたのはタンブリンガン湖、ブヤン湖やベラタン湖の周辺です。現在はベラタン湖の近くにあるバリ植物園が以前マドゥラ大師の拠点でした。この周辺で今でも有名なベラタン寺院、タンブリンガン寺院、トラテバン寺院を建てました。
マドゥラ大師の一番有名な功績はバリ島の沿岸を囲むような各ポイントに寺院を建てたことです。これらの寺院は防災、外からの自然災害や悪意のある人がバリ島に入れないようにという目的の寺院です。マドゥラ大師が建てた沿岸の寺院は今も多く残っていて、寺院の名前が「バトゥ(日本語では石と言う意味です)」が付いている寺院は全てマドゥラ大師がバリ島の沿岸を守るために建てた寺院だと言われています。
マドゥラ大師のバリ島での巡業は離島のペニダ島で終了したと言われています。ペニダ島にも色んな寺院を建て、ペニダ島を外洋の自然災害からの要塞としてバリ島を守るという役割です。
マドゥラ大師の功績を称え、現在バリ島の人たちは「イダ・バタラ・リンシル・ダラム・スガラ」という称号で海の守護神として崇拝しています。ちなみに「イダ・バタラ・リンシル・ダラム・スガラ」という称号は「海の王様」という意味です。軍人としても聖人としても優れていたマドゥラ大師ならではの称号です。
マジャパヒット時代
13世紀から後のバリ島はジャワ島で繁栄と発展をしていたマジャパヒット大国の占領時代に入ります。マジャパヒットの影響でバリ島の文化から日々の暮らしまでガラリと変わった怒涛の時代です。
詳しいマジャパヒット時代は次回の記事で紹介します。
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バリ島物語「小さな島の壮大なストーリー」Part1
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